そもそも「投資」って何だろう?投資の本質を知って投資を好きになることからはじめよう
2017/05/30
- 自分のお金を「貯める」のではなく「投じて運用する」のが投資
こんにちは。株式会社フィット「投資の窓口」編集部です。
今回は基本に戻って
「投資って、そもそもいったい何?」
ここから考えてみましょう。
投資とは「自分の『お金に働いてもらい』、お金を運んできてもらうこと」。
自分が働くこととは別に、「自分のお金が働いてくれる」“仕組み”を作って、私たち自身をより自由にする、というアイディアなのです。
- 投資をする、しない、はもちろん自由
今の時代に銀行に預金をしても、まず、増えはしません。
ですが、
「貯金なんかしているようでは、もはやダメだ。」
「投資や運用をして、各々が主体的に動いて対策を打たなければ、このご時世、いつ食べていけなくなるか分からない。」
「投資が含むリスクよりも、投資をしないことのリスクの方が大きい。」
…などなど、私たちは少し過剰に煽られているようにも見えます。
そもそも、投資にせよ、生き方やライフスタイルにせよ、最初に大前提としてあるのは個人的な選択の自由です。
「好きこそものの上手なれ」のことわざの通り、意に反して焦らされ、駆り立てられてすることや、嫌々ながらやることは、かえってあまり上手くいきません。
例えば、学校でイヤイヤながらに「勉強させられた」ことは、頭に残っていないのではないでしょうか。
人にはそれぞれ、向き不向きというものがありますし、やりたいこと、自分に合うこと、好きなことを選んでしていく方が、ずっと主体的であるといえるし、良い結果にも繋がります。
まして不安から投資をしても、より一層の不安が募るかもしれません。
投資を行う際には、自分自身が納得して、「へえ〜、それは賢い発想だ、面白いな!」と、楽しんでするのが一番なのです。
- 投資の面白さとは?
では、投資の面白さとは何でしょうか?
木暮太一氏は、著書『僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?』(株式会社 星海社 発行)の中で、「高い土台があれば、少し手を伸ばすだけで高い所に手が届く」という道理から、投資的な考え方を「ジャンプ台づくり」に喩えています。
全力でいつもいつも(多くの場合、約40年間ずっと)自力でジャンプし続けるのではなく、自分がジャンプして稼いだお金の一部を貯めて、「ジャンプ台」を作ることに回していく。
懸命に「ジャンプし続ける」代わりに、賢明に「ジャンプ台を作っていく」というものです。
ジャンプ台が出来上がれば、自分が全力で毎回毎回ジャンプしなくても、ただヒョイっと手を伸ばすだけで、同じレベルに達することができるようになるわけです。
そうなりはじめたら、楽しいですよね。
「ゼロから頑張って稼ぐ」のではなく、「労働力の価値を使って稼ぐ」ことこそ投資の面白さでしょう。
ジョセフ・マーフィー博士もこう言っています。
「井戸水はつるべで汲むより電気ポンプでやるほうがずっとよいのです。」
ジョセフ・マーフィー著『あなたはこうして成功する マーフィーの成功法則』 産能大学出版部 刊より
- 投資は、お金に命を吹き込んで自ら成長していくものにしてくれる、魅力ある発明
投資の本質は、私たち人類全員が恩恵に与れる、知恵ある発明、いわば「ワザありのアイディア」です。
分かりやすく喩えてみましょう。
投資を始めると、まず最初に、お金という自分の「子分」ができます。
この「子分」は、自分と同時に並行して、仕事をしてお金を稼いでくれる、忠実な可愛い仲間です。
この「子分」は、自分が寝ている間も、働いてくれます。
そして次の段階では、この「子分」は私たちが働かなくてはならなかった分も部分的に受け持って、代わりに働いてくれるようになります。
するとその分、私たちは働く時間を減らすことができます。
さらに、最終的には、なんと私たちが働かなくてはならなかった「全ての仕事」を受け持って、私たちを「完全に自由」にしてくれます。
勿論、この「子分」は、私たちが寝ている間も、起きている間も、ずっとずっと代わりに自動的に働いてくれます。
これが、いわゆる「不労所得」です。
こうなると、私たちは労働から解放されて、「生きることそのもの」に集中して人生を送っていけるようになります。
そしてこれが、お金持ちの人達が得ている、金銭的な問題を卒業した「その先にある日常の生活」なのです。
投資の魅力は、怖れからイヤイヤ駆り立てられて勉強し、取り組むことでは決して分かりませんし、恐怖心が勉強机の隣に座っていては、そもそも頭にも入りませんよね。
ですが、私たちは今や「とても素敵な、新しい自由な在り方」を見つけている、その時期に来ている、こう考えるのなら、どうでしょう?
「投資」の本質的なポジティブさが伝わりましたでしょうか?
「投資」や「不労所得」という発想について学ぶことは「義務」ではなく、私たち全員に開かれた「権利」なのです。
文/株式会社フィット「投資の窓口」編集部
2017/05/30