ラットレースを抜け出すために。労働とは別のもので、お金をつくることを考えよう
2017/04/14
- 「ラットレース」という、人生に仕掛けられた罠
こんにちは。株式会社フィット「投資の窓口」編集部です。
働いても働いても一向に資産が貯まらず、日々の暮らしや、その月の支払いのために働き続ける。
もらった賃金はすぐに支払いに消えて、また次の月も同じことの繰り返し。
本当は、やりたいこともあったはずだけど、この支払いのサイクルに囚われている限りは、休みなく働き続けないと、次の支払いができない。
そして支払いのために休みなく、来る日も来る日も働き続ける。
口をついて出るのは「お金さえあれば…」という言葉。
そんな状態を、回し車の中でぐるぐる回っているハムスターに例えた「ラットレース」という言葉も、『金持ち父さん貧乏父さん』の大ヒットとともに一般的になりました。
ほとんどの人が陥ってしまう「ラットレース」という人生の罠。
どうにか抜け出す方法はないのでしょうか?
- ラットレースは暮らしの標準デザイン?
抜け出す方法を考える前に、そもそも、なぜ多くの人が、ラットレースに囚われてしまうのかをみてみましょう。
まず借金をさせ、返済できる賃金を与えて、そのために働かせる。
これがわたしたちの社会における、暮らしの標準デザインだとしたらどうでしょうか?
最近問題になっている奨学金の問題を例に考えてみましょう。
大学に入る際に、まだどんな仕事をするかも決まっていない学生が「奨学金」という名目で借金をします。
わかっているのは、その大学に入れる程度に知能が高い人材だということ。つまり、ある程度見込みのある労働力だということです。
将来の労働を「信用」として大金を借りるのです。
投資の世界でも、信用取引はリスクが大きいと言われますね。
それは「持っているお金以上の取引ができる」からです。
こうして、わたしたちの多くは、就職して自分の足で人生を歩み始める、そのスタート地点で、すでに大きな借金を抱えていることになります。
大学を卒業して、例えば「バックパックを背負って数年間世界一周をしたいなぁ」と、思いついたとします。だけど、借金の返済がすぐに始まりますから、そうもいきませんよね。
では、奨学金がこれほど問題になる以前はどうだったのでしょうか?
かつてはマイカーが、そしてマイホームが、わたしたちを労働に向かわせる、その役割を担っていました。
いまでは、ライフスタイルが変わって、誰もが車を所有したり、家を買うという時代ではなくなりましたよね。
そうやって時代に合わせた変化を続けながらも、現代の社会は、いつの時代も、わたしたちが労働から逃れられないようにデザインされているのです。
まずは、それを前提としてわかったうえで、ではどうすればよいのか?を考えてみましょう。
- 労働とは別のもので、お金をつくることを考えてみる
その前に、なぜわたしたちの社会は、労働を強いるようなデザインになっているのでしょうか?
何もしない、経済活動に加わらない、生産性のない人間ばかりだと困ると考えた人がいるのかもしれませんね。
ですが、本当にそうなのでしょうか?
労働力だけがわたしたち人間の生み出す価値ではありません。
たとえば生まれたばかりの赤ちゃんは、労働できませんよね。
それでも赤ちゃんが生まれた家には、オムツや哺乳瓶、ベビーカーなどを購入する必要が生まれます。需要を生み出しているのですね。赤ちゃんにも経済効果がある、つまり、広い意味では経済活動に参加していると言えるでしょう。
大人になったわたしたちは、もっと多くの、労働の代わりに使えるものを持っているはずです。
さまざまな経験から得たノウハウ、ふと浮かんだアイデア、まだ活かし切れていない才能、培って来た人脈。
誰にでも、必ず何かありますよね。
頭を柔軟にして考えてみれば、わたしたちには、労働以外の価値がいくらでも見つかるはずです。
ラットレースから抜け出すためには、現実的には、経済的自由を得るためのお金をつくることを考えるのが簡単でしょう。
不労所得を持つための投資もそのひとつですが、資金がまったく無くては、その投資もできません。
では、ラットレースに囚われたまま甘んじるしかないのでしょうか?
そんなことはありません。
ラットレースから抜け出す方法、それは、いま以上に労働することではなく、わたしたちの誰もに固有の、労働以外の価値を使うのです。
まずは自分が、社会の用意した暮らしの標準デザインの中に嵌っていたことに気づき、そこからはみ出して考えてみましょう。
社会通念になんとなく従ったまま生きるのではなく、自分の頭を使って考えるのです。
必ず、あなただけの、ラットレースから抜け出す秘策が見つかるはずです。
文/株式会社フィット「投資の窓口」編集部
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